医師選びは知識と経験が大切ブログ:2014-02-26
結婚して数年経って、
平穏な連日を送っている今も、
おいらにはしばしば眺めている数枚の写真があります。
それは
母親と幼いおいらが写った数枚の記念写真。
上野の街角で、青い染め抜きの花模様の着物を着て、
微笑む母親のそばでにっこりしているおかっぱ頭のおいら。
どこまでも広がる黄色い菜の花畑で、
花に顔をうずめている小さなおいらと、
それを見守る母親の優しい笑顔。
長い一本の道を、
手をつないで歩いていく母親とおいらの後姿…
子供の頃の思い出の横にはいつも母親がいて、
おいらはこんなにも母親に見守られて、
育まれてきたのだという実感が、いつも心を暖かくしてくれます。
でも子育てをしてみて
おいらは初めて気がついたことがあります。
それは、
母親との思い出の数々を今日の日まで残してくれたのは、
そのフレームの中にはいない父親だったということ。
不思議なくらい、今の今まで気がつかなかった…
子供が生まれて、
おいらがカメラを持つようになり、
アルバムを作ってみれば…
そこには、
子供を抱く夫、
子供をお風呂に入れる夫、
子供を子供寝かしつける夫…
おいらとの写真なんてまるでなくて、
これじゃ将来うちのムスメはおいらが育児放棄をしたと思うかなぁ…なんて
苦笑いしています。
写真という記憶の不思議。
フレームに存在しないという、存在感。
「気づくのが遅くなっちゃいましたね。お父さん」
でも間に合って、よかった。
今までずっと、ありがとう…
控えめな父親の深い真心に、
おいらは心から感謝しています。
父親のおかげで、
おいらも母親も幸せな思い出をいつまでも
抱き続けることができるんですね。