悩みの遠視もレーシックで治療ブログ:2018-03-12
1週間くらい前、小学生のむすめが、
「うちのおじいちゃんって、ふつうのおじいちゃんとなんか違うよね…」
申し訳なさそうに、小さな声でミーに囁いた。
「ふつうの」という表現に、
ミーは吹き出しそうになりながらも、
その理由を尋ねた。
むすめは少し間をおいて答えた。
「だって、悪いことをしたら目を三角にして怒るし、
謝るまで絶対に許してくれないもん」
「ふつうのおじいちゃんたちは、そこまでマジにならないしね…」
と畳み掛けてきた。
確かにミーの父は、
大きなからだに仁王様のような鋭い眼光で、
一見他を寄せ付けない雰囲気を醸し出している。
七十歳を前にして体力が衰えてきたとはいえ、
その風格は昔となんら変わりはない。
そんな父を、むすめたちもまた一線を画して見ていたのだ。
ミーは自分が子どもだった頃の父を思いだした。
厳しく、寡黙な父だった。
筋の通らないことをしようものなら、
容赦なく大きな平手が飛んできた。
ミーは無性に怖かった。
でも一方で、そんな父を誇らしく思う自分がいた。
それは、言動の端々に
父の人情深い側面を見ていたからかもしれない。
こんなことがあった。
かつて消防署員であった父が
救助活動を終えて帰宅した時だった。
タバコをもみ消すしぐさに、
父のいらだちがみてとれた。
しばらくして、父はその理由を言葉少なに語り始めた。
洪水で溺れかけていた親子の救助に向かい、
子どもを救おうと手を差し出した時だった。
「ミーを先に助けて」と叫びながら、
お母さんが子どもを押し退けて
ボートにしがみついてきたのだという。
「残念だ」
一呼吸おいて、父はひとこと言った。
いざという時にこそ、
身を挺して子どもを守るのが両親ではないのか…
そんな義憤が聞こえてくるようだった。