悩みの遠視もレーシックで治療ブログ:2017-06-25
昔からお母さんは病弱で入退院を繰り返していましたが、
元気な時は僕やお姉ちゃんに料理を教えてくれたり、
手作りのおやつを作ってくれました。
学校から帰って、台所の出窓に、
すり鉢とすりこぎとザルが並べられているのを見つけると
心が躍ったものです。
なぜなら、
お母さんの手作りのおやつが用意されている合図だったから。
体質こそ弱かったものの、
好奇心旺盛で料理好きなお母さんは、
僕やお姉ちゃんを料理教室に通わせ、
料理に必要な材料は全て揃えてくれました。
その頃は珍しいガスオーブンを使った料理を作り、
包装紙の裏にメニューやその日に使うお皿を箇条書きに書き並べて
楽しそうに料理をするお母さんを見て、
僕もいつしか料理の世界に惹きこまれていきました。
お母さんは僕が23歳の時に他界しましたが、
今でも私の偉大なる先生なのです。
僕がまだ小さい頃、我が家では、
毎年1月3日にお父さんの会社の人たちが大勢集まり
会議を開くという恒例行事がありました。
家中に目標を書いた紙を貼って、
あさからお父さんと会社の人たちはゴルフ大会。
その間、
お母さんと僕とお姉ちゃんは、
人数分の料理の支度をするのです。
小学校低学年だった僕は、ホワイトソースを作る係。
薪をくべたストーブの上で
一生懸命ホワイトソース作りに専念したものでした。
家族の一員として責任ある仕事を任されたという気持ちで、
僕はその時間がとても好きでした。
そしてもう一つの楽しみは、
お父さんからの一年間がんばったご褒美。
お姉ちゃんやお兄ちゃんにはお年玉、
まだ小さい僕には、ちょっと変わったご褒美が手渡されるのです。
「一年ありがとう」
そう言ってお父さんは僕に箱いっぱいの「冬苺」をくれました。
当時はめずらしい苺で、僕はそれが楽しみで仕方ありませんでした。