悩みの遠視もレーシックで治療ブログ:2015-06-27
中国人の彼女にプロポーズされたのは
大学卒業の直前だった。
お母さんは反対した。
彼が気に入らないからではなく、中国が遠いからだ。
お母さんも田舎出身の親父と結婚するとき、
同じような理由で祖母に反対されたそうだ。
また、一人娘の僕を遠くへ嫁がせたくないのも本音であった。
そんなお母さんの気持ちを心の奥底にしまい込み、
僕は卒業と同時に中国人の彼女と結婚した。
新婚生活は貧しかったが、平穏で幸せだった。
僕はこれまで勉強一筋で料理、家事に無縁だった。
主人はそんな僕によく辛抱してくれ、
休日には台所に入って料理もしてくれた。
主人の自慢料理は、
友達の間でかなり人気のある焼き餃子だ。
しかし、
その餃子を食べると無性にお母さんの味が恋しくなった。
記憶を辿りお母さんの料理姿を思い出しながら作ってみたが、
餃子は穴が開くし、肉まんは膨らまない…
何一つうまくできなかった。
90年代初期の中国の一般家庭には
電話もファックスもなく、日本からの国際電話の料金は非常に高かった。
一ヶ月に一回だけ決まった時間に
お母さんの勤務先へ電話をかけた。
日本の生活の様子、両親の近況など聞くだけで
あっという間に1時間が経ってしまう。
当時、1時間の国際電話料金は約1万円で、
薄給の僕たちにはかなりの出費だった。
僕の郷愁を癒すには惜しくなかったが、
レシピを聞くにはもったいなかった。
「何を食べているの?」とお母さんは毎回聞く。
料理のできない娘のことが心配だったのだろう。
「スーパーへ行けば何でもあるから、便利よ」と
ごまかすことしかできない僕だった。